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zoom RSS 貧乏サヴァラン(今回は長文エッセイ)

<<   作成日時 : 2014/03/29 22:27   >>

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「貧乏サヴァラン」・・・?

タイトルについ目がいって、実家マンションのプラスチックゴミを出すついでに手に取ったのは

捨てられていた文庫本の束。

妙にタイトルに惹かれて、そのひと山を、誰もいないゴミ置き倉庫でしゃがんで眺めはじめる(普段そんなことは別にいたしません。たまたま目をひいたのです)。

すると、読んだことのない、興味をそそるようなタイトルの本ばかり。

で・・・。何冊かいただいてきちゃいました(笑)。で、正解でした。面白い本ばかり!(きっと読書が好きで、どんどん読んでどんどん捨てないと部屋が本だらけになる、、、そんな人が捨てたんだろうと思いました)
ちょうど、読書欲がムクムク湧いてきて渇望していた時期だったのも手伝って。


この、「貧乏サヴァラン」という面白いタイトル(サヴァランとはフランス語で小麦粉、バター、卵、砂糖で作り洋酒に浸した菓子のことだそうだ。ちなみに、このタイトルは美食家のブリヤ・サヴァランに自分を譬えてつけたタイトルのよう)は、森鴎外の長女で森茉莉さんといい、2度の離婚を経験し、50歳を過ぎてから作家になったという波乱万丈っぽい人生。

文章を読むと、これまたなんとも粋で活き活きして、竹を割ったような性格が現れた文章で

私が憧れる作家や詩人の女性たちと同じ感じで(たとえば佐野洋子さん、茨木のり子さん、田辺聖子さん、岸田玲子さん、与謝野晶子さん、等)嬉しくなる。

今日は、観葉植物との出会いを求めて横浜に買い物に出て、あちこち見て回り値段の高さにどうしても迷いが出て結局何も買えず(毎日実家に行くほど実家サロンが流行れば買うけれど、毎日状態を見て世話をしてやれないのなら、高価なものは買いづらい)、人の多さに疲れ果てド○ールで珈琲で一息つきつつ、この人の本を読んだ。

すごく面白くて、文章に惹きこまれて夢中になるも、私のように長居しそうな読書客を追い出したい気持ち丸見えの冷房の入れ具合。(ああ、どうしてゆっくり本を読める店が少ないのだろう。。。)

この森茉莉さん。森鴎外の娘というだけあり、幼少期から若い妻の頃は、家にお手伝いさんがいるような贅沢な暮しだったらしい。でも、ただの裕福とは違いその精神性はお父さんによって磨かれたもの。その後はどういうわけか貧乏になったようだ(まだ読み始めだから少ししか分からない)。

でも、この人の貧乏は粋なのである。

1週間、葱とお米と沢庵で暮らしても(しかもそこに手間をかけて美味しくご飯を作ることには労を惜しまない本当の食道楽)ひとたび手元にお金が少しでも入れば、バターや卵、平目の刺身などを嬉々として買って料理したようだ。今でいえば一粒何百円もするゴディバのようなチョコレイトも惜しまず買ったらしい。
そして、すごく気にいれば、一枚のタオルや匙に大金を出す。お金がなくなれば、また少しの野菜と米を、とびきりの清酒と醤油だけの贅沢で丁寧に料理し贅沢な気分で食す、という暮らしぶり。

なんとも、それが楽しそうなのだ。料理が大好きで食べるのが大好きで、本当に好きなものだけを大事にする。

子だくさんで生活に追われていても、粋、を忘れなかった与謝野晶子と似ているなぁと思う。
(新しい着物が買えなくても、着ふるした着物に自分で書を書いて斬新に着こなして、それがなんとも素敵だった、というエピソードを思い出す。でも、これは夫である鉄幹が色男ではあったけれども経済力がまったくなかった為。色気があれば、それだけで価値がある男、というのもうらやましい才能である)

この森茉莉さんなどは、本当の贅沢と粋を知った上での貧乏なので、着るものなどに左右されず堂々としていられたかもしれないが、心身ともに庶民の私などは、それなりの服で(それなり、でいいのだけれど)在る程度武装しないと銀座などブラブラできない。

テレビなどで贅沢な暮しやインテリアや旅行など見ると、お金持ちでないと本当の贅沢はできないと思いがちだけれど、この人の本からは全然違う意味のかっこいい贅沢の味わい方や歓びや創り方が伝わってくる。

今読んでいるのは、ブログタイトルの小説ではないほうの「マリアのうぬぼれ鏡」という、小説から抜粋された文章を集めたもの。

ここにいくつか印象に残るものをご紹介。

「私も贅沢が大好きである。「贅沢貧乏」に書いたように、上に赤のつく貧乏の中で贅沢をした。どんな時でも、精神は貴族である。」

「少しくらい手がかかっても、生活の底に格調のある、気分のいい生活をした方が、結局はほんとうの合理的生活なのだと、私は思っている」

「本当に金を使ってやる贅沢には、空想と創造の歓びがない。と。」

これは多分、金を使ってやる贅沢(もともとが裕福な育ちだったので)を知り尽くしたが上の本当の贅沢、という価値観かもしれないな、とも思う。

実は、私にも密かな贅沢の楽しみ、というのがいくつかあるけれど
はずかしいから書けない(笑)
おそらく、人様から見たら、「なんでそれが贅沢?」というようなことばかり。でも私にはこの上ない至福であったり
贅沢だったりする。これも、やっぱりお金をかける贅沢ではなくて、気持ちで味わう贅沢だ。

この人の文章に出会って、私はこれらを「小さな贅沢」と肩身狭く呼ばずに、心の中で大きく「本当の贅沢」と認めようと思う(*^-^*)。


それから。。。私は知らないことだけれど、いいなぁ、体感してみたいなぁと思ったのが、これ。

「巴里は人間に、どこかで人生をおしえる。人生というより、人生の歓びをおしえる。」

パリ、行ったことがないのです・・・(パリって、「巴里」と書く方が何だか数倍魅力的に感じられる)。

続きを読むのがとっても楽しみ。


話が変わるけれど、私の母は買い物が一番の趣味だった。一般的ないわゆる中級と呼ばれるようなサラリーマン家庭なのに、贅沢が大好きで、月に数回デパートで買い物をするのを楽しみにしていた母。高価なインテリアや洋服や着物に目がなくて、時折すごい出費をしていた母。

私は母の遺品の整理をしながら、いったいこれはいくらしたのだろう、と思うようないわゆる一昔前のゴージャスな毛皮をクローゼットから見つけて、
母の高価な身につけるものの整理に頭を悩ませて(古い型だけれどとても品が良さそうなコート類は捨てることができずに、悩んだ末専門家にリメイクしてもらった)・・・

もしかすると、物質的に豊かになるということは
きりがなくモノに支配されることになるのではないだろうか、、、とふと思ったりした。

お金が湯水のように使っても使ってもなくならないなら別だけれど
在る程度は上限というものがあって、ものを買うことに歓びを見出す場合
もっともっと、と欲しくなり、その渇望は、モノを持たない人の何十倍にも膨れ上がって、苦しくなるんじゃないだろうか。

心がお金に支配されてしまっては、在る程度余裕がある暮らしでも、もしかしたらとても不自由にもなり得るんじゃないかな、、、。そんなことを感じた1日。そんなことを感じさせられた本。


他に読み終えたのは、萩尾望都さんの漫画2冊。この人は哲学者のようだ、と感じる。面白かった。
まだまだ面白そうなのがある。安部公房の未読の本も控えている。当分本に困らない。嬉しい。

なんだか文体が今日読んだ本に影響されて、ですます調から、だ、である、調になってしまった(笑)

ああ、今日1日でまだ続きがあるけれど・・・・・・

長くなるので分けます★




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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
 僕も下北沢に住んでいたことがあって、ひょっとしたら茉莉ばぁさんに会ったことがあるかもしれない。
 多分会ったとしても、汚いばぁさんのことは気がついていなかったでしょう。
 もう随分前のことなので、内容の多くは忘れてしまったけれど、本当にお洒落なお話(本の装丁も)でありました。
 森のお父さんは奇人、北のお父さんは変人。
 以前、東京で仕事をしていたときに、三鷹に行くことがあって、同僚が太宰の墓があるからといって、墓地にサボリにつれて行かれた。太宰の墓にはチョコレートなどが沢山供えられていて、いくらか崩れていた。ふらふら歩いていると、鴎外の墓があって、そのことに驚いた。もちろん、鴎外の鼻には供え物はなく、墓だけがでんと構えていて、なんだかそのことがこころよかった。
 森茉莉さんのアパートの管理をしていた人は大変だったろうなぁと思いつつも、木造であったかも知れないその古ぼけた建物の廊下のきしみや、玄関口や、茉莉ばあさんの整理されていない部屋を想像してしまう。
 思い出すと、倉橋由美子のどれかの小説と、森茉莉のお話の筋がごっちゃになっていることに気付きます。
じゅん
2014/03/30 16:23
◆じゅんさん
下北沢に住んでいたことがあるのですか!あの町は楽しいですね。大好きです。
森茉莉さん、そういうイメージが強いのですね。
私は文章から想像するだけですが、心の中をいつも愉快に、生活を愉快にする達人のようで、文章から、ちいさな女の子のような茉莉さんが見え隠れして、読んでいる分にはとっても楽しいデス。いい刺激もあたらしい考え方ももらえる感じ。元気でパワーがあって、個性も我も強くて好き嫌いが激しくて家事は苦手だけれど料理だけは大好きで、きっとそばにいた人は大変だったでしょうね(笑)小説家としてはこのぐらい変わった人の方が面白くてプラスにはたらいたのだと思いますけれど^。^
しょうこ
2014/04/02 16:56

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